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光合成と文脈のない生活。

他愛無いですが。


日本にいると全く気付かないけど、オランダにいるからこそ、そのありがたみが分かるってこともやっぱりある。

こないだ書いたように、オランダは水曜からいきなり夏。春をぶっ飛ばして冬から夏へ。友人曰く「一日で違う国へ来たみたいだ・・・」←間違いない。というか、ホントに春ぶっ飛ばして夏、と言った感じ。みんなコートとセーターを脱ぎ捨てて、キャミソールやTシャツでおでかけ。そしてそこらじゅうで日光浴。ほんと、「春はどこへいった??"(゜□゜)"??」って感じ。東京のムッとした、重い、もしくは甘いあの春の空気が懐かしくなって、ついでに去年の今頃都心でバイトしていたことなんかも思い出して、お世話になった皆さんお元気ですか?といった今日この頃・・・。

でも、オランダ人が日光浴する気持ちも、ものすごくよく分かる。だって天気がいいだけでこんなにも気分が晴れ晴れして、幸せになれるだなんて、思ってもなかった。ビバ日光!ちょっと外に出てフラッとするだけで、本当に幸せな気分になれる。別に何もしなくても、特別どっか行かなくても日光に当たるだけで幸せ。こんなにお日様の光がありがないなんて(;_;)思わず深呼吸してしまうのです。

オランダ人はなんてHappy Peopleなんだ・・・なんて思ってたけど、間違いなく自分もそんな一部になりつつある予感。ほんと、こんな陽気な日にスーパーなんかに行って、ブラブラしてるだけでも、何だかみんなとっても幸せそうなのです。天気が晴れ、ってだけで、日常が薔薇色。何にもいらない、ほんとにこれだけで幸せ、って気分。

でも、そう思うと、自分に何だか泣けてきた。日本で何やってたんだろ~、って。何にもなくて、こんな他愛もないことでこんなに幸せなのに、私は日本でこんな風に「しあわせ~」って思ったことはあるだろうか?って。っていうかないんじゃない?みたいな。でも、決して私はここでも何にもないから幸せ、ってわけでもない。ここの生活にもなれて、大体どうすればこうなる、とか、こうしたいときはこうすればいい、とか、気の知れた友達とか、なかなか終わらないけど(+_+)それなりに充実した課題とか、バイトができるようになったとか、それで少しは予算に余裕ができるようになったとか、ウクライナ行きの目処がしっかり立ったこととか、風邪が回復したこととか、英語で不自由なくコミニュケーションできるようになったとか、ニュースを見ても大体どんなことをいってるか、ヨーロッパの前後関係が分かるようになったとか、そういうことももちろん含まれて、それで幸せなんだと思う。何もいらないけど、何にもないわけではない。私にはしっかり文脈がある。そして、それはもちろんオランダ人にだってある。私の比較にならないくらいしっかり濃く。

最初の頃、私には文脈がありませんでした。私は日本にいると、大体他人の顔色を見て、社会的な期待値に沿って自分の行動を決めてたから、ひょっこりオランダに来たときは、何にもなくて、私を取り巻く環境が何にもなくて、ポカン、としてしまいました。オランダ人ってなんて人に干渉しないんだろ~、とか、なんて個人主義的なんだろ~、とか。でもそれは、オランダ人に言えることではなく、私一人だけに言えることだったのだと思います。よく一般的には海外に行くと「自分をしっかり持ってないといけない」とか「あっちは個人主義がしっかりしてる」とか、言われるけど、確かにある程度文化的な差はあるかもしれないけど、それは特に自分が、“外国人”として違う国に放り出されるからだからであって、個人主義とか、なんとか、そういう問題ではないと思う。今まであったそれまで全ての文脈を断ち切って、いきなり一人でどうにかしろ、ってんだから、そりゃ、強くもなりますよ。そして、それは別に周りのせいではなく、大きく自分の環境に依存してるのだと思います。結局私が思うことや感じることは私の周りで起こることを自分で処理したことのみになってしまうのだから。どこにいったって、人種を問わずいつまでたってもガキ臭いヤツはいっぱいいるし、逆に大人らしいヤツもいる。個人主義、とかいったって、ワガママ&自己中と区別はつきにくいし、寛容とテキトーの境界も、寛容と無関心の境界も、それはそれは怪しいものなのです。

だから最初の頃のブログで「オランダ人は誰かの期待に沿って行動してるんじゃなくて、自分のやりたいことをやる傾向があるんだ」なんて言っちゃったけど、確かにそれは日本比較すると傾向的に強いのかもしれないけど、でも、やっぱり最近はそんなことはないだろう、と思う。オランダ人にだってここにはしっかり彼らの文脈があって、たまには雁字搦めになってる人だっていると思う。別に誰かの話を聞いたわけじゃないし、実証したわけじゃないけど、少なくとも、私の最初の頃ほど何にもない人はいないと思う。彼らには彼らの文脈があって、その中で生きている。だからある意味ではすっごくローカル。どこまでも、果てしなく、もんのすごくローカル。表面上、見かけ上、環境上、“国際的”、“International”っていうことはできる。というか、そういうフリをしていないと生きていけない。だからそんなことはいくらだってまねられる。でも、その生活は何にも国際的なことなんてなくて、派手なことなんかなくて、ド・ローカル。どうやってどの日常を生きていくか。そういうことなんだと思う。


だから、前言撤回。


彼らにないわけではなく、私に何にもなかったのです。






ようやく自分の文脈について考え始めた今日この頃。
by kame_pcaddress | 2006-05-06 23:24 | 雑・オランダ
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